今回は英語に関係のないカテゴリー記事「久御山町のトリビア」です。お忙しい方は読み飛ばしてください。(^.^)
太平洋戦争中、久御山は米軍機による機銃掃射を受けたと聞いた時「こんな田舎のどこを狙ったのだろう」と不思議に思ったのですが、ふとこの辺りに飛行場があったという話を思い出し「そうだったのか…」と、頭の中でパズルのピースが繋がったような気がしました。
では久御山のどこに飛行場があったのかというと
もろに生活圏エリア(;゚Д゚)
久御山イオンはギリギリ外れていますが、講師が3日に1回は訪れるファミリーマート久御山森店は飛行場跡地です。
飛行場外周を囲んでいた排水溝は現在もそのまま用水路として使用されています。
用水路に囲まれた地域に数多くの工場が立ち並んでいるのは、飛行場跡地が工業用地として転用されたため。つまり、久御山町に工場が多い背景には京都飛行場の存在がありました。
平和な暮らしの景色に溶け込んだ戦争の遺構は、私達に何を語りかけているのでしょうか。飛行場があったことで空爆の対象となり、一般市民が不条理にも命を落とした、戦争はこんなにも身近にあったのだという教訓を与えてくれているような気がします。