英語に全く関係なくて恐縮ですが、今回は教室名にも使わせてもらっている「御牧」の歴史トリビアです。
その名前が示す通り、かつてこの地は皇室の直轄牧場でした。現在では田んぼや畑が広がっていますが、古の昔は牧草がうっそうと茂り馬や牛が飼育されていました。
現在、御牧は馬と全く縁がない場所になってしまった、わけではありません。最寄り駅近くには淀競馬場があって、週末になると人々が各地から押し寄せ、馬達は手に汗握るレースで戦っています。1000年前、まさに同じ土地で軍馬が駆け回っていたことを思えば、時代は違えど馬も大変だなぁと思います。(;^ω^)
さて、ここからが私も最近知った御牧トリビアなのですが、江戸時代、なんと御牧に石高1万3千石の御牧藩が存在したそうです。現在「市」ですらなく「町」でがんばっている久御山町に「藩」があったなんて驚きです。
御牧藩を治めていたのが津田氏。誰?という感じでネット検索してみたところ、織田氏の一族だとわかりました。あの織田信長の織田氏です。
信長の叔父さんである信次から数えて4代目(諸説あり)津田信成の時に御牧藩は改易、つまり「お家お取りつぶし」になってしまいました。大変不名誉な話ですが、信成さん、酔っぱらって祇園で大暴れしたことが徳川家康の逆鱗に触れたそうです。
ところで、津田信成は ↓ を考案したことでも知られています。
挟箱とは、衣服などを中に入れて棒を通して担いで運んだ箱です。持つとこんな感じ ↓
江戸時代、大名は参勤交代のために移動を余儀なくされたため、挟箱が大活躍しました。有名な東海道五十三次の絵の中にも挟箱が描かれています。
御牧教室の生徒のみなさん、もし地元に誰か歴史的人物はいないか尋ねられたら、津田信成を思い出してください。「織田信長の親戚で挟箱を考案した人です。」と説明すれば、歴史好きの人ならきっと興味をもって聞いてくれると思います。
いつか地元の歴史を外国の人に英語で説明できるくらい、今のうちに英語、がんばって勉強しましょうね。自分の知っていることを世界中の人に知ってもらえるって、こんな楽しいことはないです。